「職業に貴賎なし」からはじまるある論理展開

我らがヒーローまっつくんがまたやってくれた。

 

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まず僕なりに解説すると、そもそも『職業に貴賤なし』は「実際は職業によって尊敬されたり貶されたりするけど、そうはいっても必要とされるから仕事があるのだから、想像の及ばない部分にも敬意を示そうよ」みたいな意味だと思う。

そもそもこの慣用句は石田梅岩という江戸時代の思想家のもので

士農工商の階層は、社会的職務の相違であり、人間価値の上下・貴賤に基因しない

ということらしいのだが、まあ個人のブログからの引用なので真贋はわからない。でも僕の認識からはそんなに遠くない。仕事があるということはそこに必要とする人がいるということだし、たとえ誰かにとっては尊敬できない仕事であったとしてもそれを理由に貶めるのはよくない、みたいな話だろう。

ただ、まっつくんの認識はそこから一歩進んで

第三者が及ばない領域になれば、どんな仕事であろうとその仕事は第三者にとっては無価値

という領域に踏み込んでいる。これはまあその通りと言えばその通りだ。例えばマクドナルドでハンバーガーを作る仕事をしていたとしても、それはマクドナルドの店内でしか価値を持つものではない。それはCAであろうとナースであろうと一緒だ。でも実際には尊敬される仕事とそうでない仕事がある。CAという職業が一世を風靡した時代は確実にあったし、合コンでは今でもモテる職業なのではないだろうか?

そんな現実に対して「そうじゃないんだよ、職業は外の世界では無価値なんだよ」という考え方は賛同しかねる部分もあるが、まあ個人の生き方としては許容されるべき範囲内ではあると思う。実際にまっつくんにもそう言われた。

 

1.5

ところがなぜか拡散されたわけではないのにディスられる展開に。まあディスられそうな内容のツイートではあるのだが、「外に出れば」の部分を読まずにディスる意見がいくつか僕のTLでも見受けられた。まあ「どんな職業でもクソほど価値はない」と言われて怒らない人がいないような気もするし、自業自得といえばその通りだけど。

 

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まあそんな誤読をかますうっかりさんは放っておいて、僕が個人的にまっつくん反論するとすれば「そんなクソつらい生き方をしないでも」ということだ。

そもそもこの議論はあくまで認識についての話なのだが、確かにマクドナルドの店内における仕事/職業はマクドナルド店内、もしくはその組織の中でしか価値はない。自分とは無関係の別の会社にでも出向いて「私はハンバーガーショップ店員です!」と言ったところでそこに意味はない。

しかしだからといって「領域外で無価値」みたいな認識はしなくても、とも思う。現実には人気のある職業とそうでないもの、尊敬される職業とそうでないものがあるが、その価値を決めるのは他人であり自分でもあるのだから、たとえ他人から無価値と見なされようと自分くらいは肯定してあげればいいのに、と思う。

とはいえ「自分には価値がない」→「だから何をやっても平気」みたいな生き方の人もいるので押し付ける気はない。ただ、自分の場合「自分には価値がない」→「だから何をやっても無駄」みたいな考えに陥りがちなので、「自分のやっていることは自分にとっても他人にとってもそこそこ価値がある」くらいな気持ちで生きていたほうがラクってのはある。

 

2.5

ちなみに本人にそう言ったら「肯定も否定もするのめんどくさい〜そもそも社会に出てねぇしなオラ」と言われたんだけど、バイトしてるし、そもそも職業に就いてなくても仕事はたくさんあるだろ。あとうっかりさんのリプに「社会にも出てないくせに」みたいなものもあったけど、それは論点がずれててげんなりした。

 

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ところでそもそも価値とは、自分でも他者でも誰でもいいのだが、そこに価値を見出せばその時点で価値になるのである。例えば今の任天堂の株価は一株33650円するのだが、それは株に興味を持たない人にとっては0円同様の紙切れに過ぎないのだが、その人に無価値であろうと市場では33650円で取引されるのである。

同時に仕事の価値は、その領域外の人に無価値であろうと、その仕事において価値があるのならその時点で価値は確定しているのである。例え市場で取引されることがなくても、価値を見出す人が一人でもいればそこに価値はある。

 

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だから人は無価値であるかもしれないが、あなたがあなたを肯定すればそれだけで価値は発生するのである。逆にあなたがあなた自身が肯定しなくても、誰かひとりでもあなたを肯定すればそこに価値は発生するのだ。あなたの仕事はその辺で歩くおっさんにとって無価値かもしれないが、あなたが求められる限り無価値はありえないのだ。

 

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ところでそもそもうんこはバクテリアにとってエネルギー源になると思うのだが、そのようなものを人の職業というしょうもないものの当て付けにすることに後ろめたさはないのだろうか?