純粋に音楽だけで判断するという幻想

WIREDで鷺巣詩郎が興味深いことを話していた。

「人間が人間に抱く興味」があって初めて、音楽はメディアになるのではないかと思っています。音楽を通じてその人への興味が湧くんですよ。でもプログラミングされた演奏だと、その「人間」が見えてこない。(中略)
グラビアアイドルが歌う曲を好きな人が、誰かに「お前が好きなのは、音楽じゃなくて肉体だろ」と言われるとします。その批判はズレていて、その女の子が音楽を生み出してるわけだから、やっぱりそこに音楽は必要なんですね。 

もしかしたら作り手だからこそこう考えているのかもしれないが、僕の中では音楽は「なんらかのメディア(YouTubeでもいいしmp3でも雑誌でもなんでも良い)を通じて人から人へ伝わっていく物」をイメージしていた。でも鷺巣詩郎は「音楽を通じて人と人を繋ぐ」ことをイメージしていて、それが目から鱗というか、それこそここ2年くらい音楽を生み出した人に思いを馳せず、音だけを聴いて音楽を捉えようとしている自分があまりに浅はかだったことを思い知らされた。

例えば最近で言うと小沢健二とか鬼束ちひろという人に対して、これまで過ごした時間からある程度以上の興味を持っている。ゆえに彼らとはすでに繋がっているし、それゆえに音楽も楽しめた。

だけどそうでない人、たとえばFrank Oceanであったり、Kendrick Lamerに対してはは伝聞以上のことしか知らず、その上で音楽だけを聴いてあまり楽しいと思わずにますます興味を失う、みたいなことを繰り返してた。そしてそれが「純粋な意味で音楽を聴く」ことだと思い込んでいた。*1

でもそうではなくて「音楽はメディア」という考え方を通して、例えば「清水裕美があの場所で音楽を生み出していたからこそリリスクが好き」だったと言えるわけだし、逆に言うと「清水裕美がそこで音楽を生み出していないから今のリリスクに興味が持てない」みたいなこともありえるのだなーって。

もちろん「曲が好きだからこそリリスクは断固支持」みたいな考え方だってあってもいいと思うし、それはそれで立派なことだと思う。でも僕はyumi、mei、ayakaがいるリリスクが好きだったなーって今更ながら思いました。

*1:ただまあ好きになれる数だって限られているだろうし、その意味においてファーストインプレッションで判断するのは悪くないとは思うが